更新日2020/3/11

 

ムサシ

 

●1968年10月15日生まれ

 

●現在・妻と娘(13歳)、猫と暮らしております。

 

●自営業

●リラクゼーションサロン運営2004年〜
●数秘術協会長2018年〜
●web集客コンサルティング&webサポート2015年〜
●ドテラビジネス2019年〜

 

●趣味・温泉・PCイジリ(仕事)・読書・キャンプ・家族

 

年表

 

●1968年10月15日・福島県小野新町で産まれる。

 

●0歳〜5歳・埼玉県戸田市

 

●幼稚園から茨城県牛久市。この幼稚園で現在の妻と出会う。

 

●小学生時代・暗くはなかったですが、大人しい性格。ヤンチャとは無縁です。極々フツーの少年。少年野球をやっていました。松本零士アニメが好きで、絵をよく描いていました。成績は真ん中くらい。

 

●中学時代・野球部と期間的に陸上部に所属(人数の少ない学校だったので、陸上部がありませんでした)。長距離は学年1番。800m走では県大会決勝まで進む。2年生の時にテクノグループYMOに心奪われてしまい、運動も勉強も3の次になってしまう。成績は中の中くらい。

 

●高校時代・中の中くらいの生徒が集まる、偏差値52の一番近所の高校に進学。中学から「音楽をやる!!」と決めていたので、入学と同時にアルバイトを決め、ほぼ同時に楽器のローンを組む。今思うと、本当に親に申し訳なかったのですが、とにかく学校をサボりまくりました。アルバイトとバンド活動に明け暮れました。

 

●アルバイトはファミリーレストランのココス。ここでの経験は、今でも大きく影響することになります。

ここで社会的なマナーや挨拶を覚えたように思います。

 

●大学受験落ちる。法政大学・日大の2つしか受けなく、どちらも不合格。

 

●半年間だけ浪人しましたが、「本当に自分は勉強したくて大学に行きたいのか?大卒の肩書きが欲しくて大学に行きたいのか?」と問いかけ、大学はやめました。今でもその判断に間違いはなかったと思います。行ったとしても、ろくに勉強はしなかったと思います。

 

『大卒』という肩書きは便利かもしれませんが、勉強がしたいわけでもないのに4年間で数百万。僕にとっては意味を感じられなくなりました。母親にはいまだに『大学は行って欲しかった』と嘆かられます😅

 

社会人になってから、経済的な問題で大学に行かなかった人の話しをたくさん聞きました。

行かせてくれようとしてくれた親には感謝です。

 

●大学受験をやめて、続けていたバンド活動一本にしました。アルバイトをして楽器のローンを支払いながら、プロのミュージシャンを目指しました。担当はドラムで、作詞や作曲もしました。

しかし今振り返ると、「もっと真剣にやるべき」だったと思います。

 

現在自営業をしていますが、バンドで食べていくというのも自営業。

自営業としての覚悟が無さすぎました。

 

●アルバイトでは給料が安過ぎてダメだと思い、正社員の仕事にもつきました。しかし、メインはバンド活動のため、本当に適当な働き方をしました。今思うと、ふざけた青年だと思います。僕が社長なら、絶対雇いたくない人間です。

 

●27歳。バンドもうまくいかなく脱退。中途半端な生き方をしていたので、彼女にもフラれる。「こんな生活ではダメだ」と、音楽は一切手を切り、はじめて「面白そうな仕事をしよう」と思いました。

 

そこで選んだのが「コメスタ」と言うイタリアンレストラン。当時、今の妻が働いていて、紹介してくれました。この職場から、グダグダだった人生が変わってきました。

 

楽しく仕事をしていたら、いつの間にか評価され責任者を任されるようになりました。

 

そんな立場になったのに、「どうしても今のうちに、日本一周をしたい!!」という思いが湧き上がり退職。北は北海道・宗谷岬。南は沖縄・波照間島へと車の旅をしました。

 

●日本一周から戻り、幼稚園からずっと一緒だった妻と事実婚という形になる。31歳で正式に結婚。東京のホテルマンになり、「やはり自分はサービス業が面白い」と、あらためて感じる。

 

しかし、早朝5時には家を出て、仕事状況によっては帰れなくてホテルに泊まり。給料は手取り16万。「もし子供が産まれても、ろくに子育てに関われないし、家なんて一生無理」

 

●そんなことから東京のタクシー会社に転職。お給料は、人生で一番多くいただき、この時に家を買いました。

 

お給料は良かったのですが、24時間働いて、24時間休むという勤務体系。運転中の睡魔も酷いもので、「いつか必ず事故を起こす」と、妻と相談して退職に向けて行動する。

 

妻の「マッサージ上手いんだから、マッサージの仕事をすればいいじゃん」の一言で、思い切ってマッサージの世界に行きました。

 

24時間タクシー運転手をして、寝ないでそのまま東京のお店で修行するという生活を数ヶ月。

「うん!やっていけそう!」と、タクシーを退職しました。

 

●買った家の近くで働きたく、東京の治療院から、地元の温浴施設で働くようになる。

深夜まで働く生活で、帰宅はいつも2時くらいです。その深夜に飲酒運転に追突され脳震盪を起こす。飲酒運転はそのまま逃走(翌日捕まる)

 

これをきっかけに、「深夜に働くのはやめよう」と妻と話し合います。

そして、全く考えてもいなかった自宅開業をすることになりました。

 

●35歳で自宅兼店舗で独立開業。部屋の1つにマッサージベッドを入れて開業しました。

https://ameblo.jp/grinblue/entry-12602287916.html

 

開業して、人生ではじめて一番勉強するようになりました。

手技の追求・経営の勉強をするようになりました。

 

●38歳で待望の娘誕生。

 

●42歳。地元でもそこそこ評判の店になりました。「教えて欲しい」という若者が出てきて、「セラピストスクール」を開始しました。現在、卒業生さんは、同じように開業しています(続かなかった人もいます)

https://grinblue.jimdo.com/

 

●45歳。卒業生さんの活躍の場という意味で、2店舗目を出しました。これが大きく失敗しまして、数百万の負債を抱えました。この失敗を機に、「自分には人を雇う能力は皆無」と判断しました。

 

●2店舗を潰したのは失敗だけでなく、この時に必死でweb集客を意識しました。チャラチャラしたイメージだったSNS集客も「そんな事を言っている場合じゃない!!」と、必死に勉強しました。web集客が当たるようになりました。

 

●46歳。2店舗目の失敗と、web集客の成功経験から、ビジネスセミナーやコンサルティングを開始するようになりました。

 

●48歳。マッサージ業で、人さまの相談に乗ることが多いのを機に、妻の勧めから「数秘術」を学ぶ。現在は「道ひらき数秘術」という名称で活動しております。ライフワークのように楽しくて仕方ないです。

https://ameblo.jp/shirotamlm10/entry-12580627477.html

 

●49歳。動画専門の有料オンラインサロンを開始。YouTubeで動画の勉強をするようになったら、有料にしている自分なんかより、あまりにも良い動画を無料にしていることにショックを受ける。

 

毎月課金でお金を取っていることに、もの凄い罪悪感とプレッシャーに潰されてしまいました。13ヶ月で閉鎖。かなり大きなビジョンで始めたことだったので、支店を潰した次にショックでした。

 

●50歳。年始に僕の宝である親指を怪我してしまい、大きな収入源であるマッサージ業からの収入がストップになりました。

 

自分の年齢。まだ11歳の娘のこと。家のローン。市場の動向などなど考えに考え、ドテラのネットワークビジネスを収入源の1つとして加える。今までのweb集客のスキルを活かし、インターネットだけで集客しています。

https://www.doterramlm.com/doterra/

 

紆余曲折ありながらも、自営をして15年。常に進化しております。

 

書き終えて思いましたが、これ読んで信頼失くしそう💦と焦ります(笑)

ただ、16年自営業をし続けていることだけは、かなり凄いと自負しております。

 

たくさん失敗を経験しているからこその言葉もあります。